咳をしてもloneliness

孤独と向き合う壁打ちブログ

【脳内・雑記】うしろ向きな前向き

 

2月の中ごろにリングフィットを再開して、そろそろひと月になる。

ひと月も続けると体の変化に気がつけるほどになり、最近は特に体幹の存在を体感(!)している。

バランスの必要な運動でフラフラしなくなったり、体を大きく動かす運動でよりしなやかに動作ができると感じるのだ。

日々少しずつ積み上がっていく成長を噛み締めながらたのしくやっているのだが、その中で思うことがあった。

 

それが、"筋トレすると前向きになれるよ!"という恒例の筋肉至上主義。あれ、半分合ってて半分間違ってます。

 

昨年やっていたときにも思ったのだが、筋肉をつけて得られる前向きさは、今までの自分の考えを後押しする方向に働くと思うのだ。

今日なんか、ステージギミックで死ぬほどモモ上げをやらされた挙句、足系のフィットスキルが弱点の敵が多く出てきたために足が上がらなくなり、ビクトリーポーズのスクワットの際に"し゛に゛た゛い゛"と叫んでしまった(死にたくない)。

実際にそう思っているわけではないのに、何かから解放されたいだとか、逃げたいと思った時、つい"死にたい"と言ってしまうの、本当によくない。言った後で自分の発言にびっくりしてしまう。今日はそこそこ大きな声をともなったため、運動と合わせて非常に心拍数を上げてしまった。ステージのラストで心拍数をはかると、"強すぎる運動"とのこと。

字面に少し笑えたが、実際そのときの心拍数の速さは恐ろしいレベルだった。

 

…話が脱線した

要は、筋トレでポジティブになれる人って、元からその素質があったんじゃない?ってこと。

多少体力がついたことで精神が安定したり、やれることができたりするのはポジティブ思考に繋がるかもしれない。だが、所詮僕の場合、"こんな体になったところで基本的に引きこもってるし何に使うんだか"とか、"筋肉付けて自ら燃費悪くするって馬鹿のすることなんじゃないか??"とか。とりま筋肉付けよう!とかぼんやり考えてた頃には思いもしなかったことを余計に考えてしまう。

 

まあ、なにかしら後ろ盾ができると多少アグレッシブに動けるようになるというのは実際その通りで、ブラックな会社でパワハラを受けても、筋肉があれば少しは耐えられるんじゃないかと、少し社会に前向きになって気もする。するだけ。なにいってだこいつ。

 

なんてことを言っても、たかが自重トレーニングをひと月続けただけのヒョロガリチビなので、筋肉ついたら〇〇とかでかい口叩けるような身分では、おそらく、ない。

 

前向きがどうの、とか、後ろ盾が〜とかほざいたが、要するに、ちょっと続けたら成果が見えてきて嬉しい!ということを誰かに言いたかっただけなのである。会話がないからね、日常に。

とはいえ、僕が"そう"と"うつ"のあるなんとか病なんだとしたら間違いなく"うつ"状態な感じのフェーズに入ってしまったため、少しコミュニケーションは控えたい所存。まじで些細なことで大声だしそうで怖い。ヒスブサヒョロチビハゲはさすがに醜すぎる。

 

ということで、とりあえずヒョロだけでも(ヒスは抑え込みたい)打破できるように、リングフィット続けてみますわ。

 

 

………リングくんの"あと20回!"に殺意を抱きながら明日もプランクがんばります。

【脳内】ZRX400で轢かれる夢

 

突然往来の激しい道の真ん中に放り出された。

現状を把握する余裕もなく眼下に迫るのは恐らく僕に引導を渡すであろう乗り物。

それが偶然にも好きなバイクだったら、そうでないときよりいくぶんか嬉しい。そんな気がする。

 

というか、そうじゃない時の落胆ぶりのほうがよほど想像に難くない。

"げっ!プリウスだ!"とか、"最近のZ900だ!だせぇ!"みたいな。好きな人ごめんなさい。

 

こんな感じで、リアクションを想像する場合、嬉しがっている感じよりも落胆している状態のほうがより輪郭がはっきりと浮かんでくるのは、なんででしょうか。落胆した経験のほうが多いから?嬉しい気持ちは記憶に残りにくいから?謎や。ミステリーや。

 

 

 

 

結果:何にも轢かれたくない!

 

おわり。

【雑記】創作におけるお目汚しって概念

 

最近、趣味のドット絵を再開した。

もっと意図を作品に込められるよう鍛錬をしていきたい。いずれ自身の別の作品にも組み込んでいけるとなお良い。

 

再開にあたって、SNSへの投稿も少し頑張ってみようと思った。やはり作品とは、他人の目に曝して感情を揺さぶることで、真に完成と言えるのではないだろうか。今は主に自己満足での創作だが、それでも"この1ドットで見る人に奥行きを感じてほしい"と思って打つことはしばしばある。技量の良し悪しは関係なく、作品に込める思いというのは多かれ少なかれ存在する。

 

と、実際のところただ単に創作をSNSに流していますという近況報告なのだが、その中で一つ気にかけていることがある。

それが、下手な絵を他人のTLに流してしまうことだ。それも、あまり住み分けを行っていない界隈のごった煮のようなTLへ。

 

人は、特に創作をあまりしない立場の人からすると、そもそも下手な作品というのは、目にも入れたくないぐらい価値の低いものである。駅のホームで誰かの吐瀉物を発見してしまったときと、その気まずさと忌避感は等しいといって過言ではない。

特に、昨今ではSNSを筆頭に美麗で美しい作品を目にする機会がとても多く、それだけに他人の目も必然と肥えている。一度見られてしまったが最後、TLを汚す不埒な輩としてミュートやブロックをされてしまうかもしれない。

 

 

だが、そこで投稿を辞めてしまうのは違う。

SNSへの投稿は、先に述べた通り、他者の心を動かすための手段であり、その過程無くして他者の心を動かす方法など得られるわけがないからだ。

下手な絵でTLを汚すことで関係を絶たれてしまうような細い繋がりなど、ハナから要らないのではないか?いずれミュート解除された時に成長を見せつけ、むしろ良好な関係を築けるのではないか?

創作を他者に見せることで何かネガティブな気持ちが起きたら、今一度冷静に考える時間を作るべきだ。やりたいことを見つめ直して、目的地を見失わないようにしよう。

 

 

 

というわけで、ナヒーダのドット絵イラストの投稿に強いストレスを感じたので冷静になるための戒め的雑記でした。

見てもらうための工夫として、ハッシュタグを盛ったり、つけるハッシュタグの検索の多い時間帯を狙って投稿したり、多少おざなりに考えているのですが、それは同時に知り合いや友人にハッシュタグ盛り盛りのへたっぴイラストを見られてしまうことにもなる訳で。恥ずかしいことこの上ないわけです。

実際、ハッシュタグの多いツイートってより不特定多数に見られるので知り合いには敬遠される傾向にあるだろうし、素性を知っている人の創作って、なんとなくムズムズするというか、なんか気まずいと言うか、純粋な気持ちで見られない!という人は多いと存じています。…自分もその一人だったりします。

ですが、僕は作品を通じて人と会話がしたい。

今までであった、"語りかけてくるような"印象的なドット絵を、僕も作りたい。

そのために、すこーしお付き合いいただけるとすごく嬉しい。

これでも一応、ドット絵歴7年目なんですよ。

 

 

誰が見てるか本当にわからないので、一応ですが、

知り合いのよしみでいいねやコメントなどで反応していただくのも(死ぬほど)嬉しいのですが、いずれ惰性になってしまうだろうし、そう感じてしまった時の双方の悲しみは計り知れないところがあるため、ええやん!って本当に思った時だけ反応くれると良いと思います。むしろ、いいじゃん!があったらぜひ教えて下さい。どんな形でも良いです。誰かにいいじゃんが届けられるかもしれないというのが、恐らく僕の創作の原動力なので。

…こんな事書いても意味ないと思うけど。一応ね。

 

気張りすぎず怠けすぎずマイペースに頑張る所存です。目指すは神絵師の腕。

 

 

おわり

【雑記】人にモノを勧められないねぇ君は

 

ペルソナ5

 

僕の人生をより彩りあるものにした数あるゲームの中でも特に印象に残っている作品。コーポレーションを育む過程での個性豊かな人々との出会いには心を打たれ、日常の何気ない一幕(図書館で自習したりアルバイトしたり)で成長する主人公の積極性に感動した。実際に、プレイ後とプレイ前でコミュニケーションへの抵抗感はより前向きな方向へガラリと変わったし、やってみたいことはとりあえずやってみるくらいの積極性は身についたと思う。

 

そう。ペルソナ5はもはや僕の人生のバイブル。このゲームには、人間が備えるべき社会への肯定感や自分を見つめ直すきっかけが詰まっていると、本気でそう思っている。

 

だが、だからと言って安易に人に勧めようとはしない。

僕には、好きな作品を他人に勧めたい『前向きな気持ち』と、安易に人に勧めてはいけないという『後ろ向きな気持ち』の2つが存在しており、混沌を極めている。まあ、有り体に言うと、この混沌がどちらかと言うと後ろ向き優勢であるため、現在では安易に好きな作品を人に勧めないというスタンスに落ち着いているのだ。

ということで今回は、僕が(少なくとも現在の自分)なぜ人にものを勧めないか、長年モヤモヤしていた題目だったのだが、少し考えがまとまったので書き残しておく。

先に断っておくが、これは未来の自分への書き置きと、個人的な考えの整理が主な目的である。

そのため、ここに書くことは普遍的な正解不正解ではなく、僕自身が個人的にそうしたいと思うことである。

なんとなく、本当になんとなくこういった文句を書いてしまうことも、僕が人にモノを勧められない理由の一つであることは間違いない。

 

勧めることが本意ではない

この話には、僕の作品に対する大きな前提が必要である。それは、"僕は作品に対しての僕自身の意見を、他者の考えに左右されたくない"というものである。

友人などからゲームなどのモノを勧められてそれに触れるとき、僕は『勧められたモノ』として認識してしまう。自ら触れたモノと違い、純粋な気持ちでいることができないのだ。

往々にして勧められたものというのは、勧めた側の主観で見たモノの価値観が付随する。

"〇〇ってキャラが良くてさ"とか"あの演出が見どころで"とかである。

それが、例えばゲームであれば、『あいつってこういうキャラが好きなんだ』『この演出見どころはあるけど言及するほどじゃないな』といった具合に、僕が作品に覚える感覚に、他者の意見が影響してしまう。もし、それが勧められたものでなく、他人の意見を知らずに触れていれば、『このキャラいいやつだな、好きかも』や『この演出いいな、おもしろい』と思えたかもしれない。

 

ちなみに、僕は基本的に友人の好きだと言っているキャラクターには強い距離感を覚える。何なら嫌いになるまである。友達の彼女に覚えるそれに似た何かと言って伝わりますか。………。きめぇなこいつほんと

 

サブカルチャーに限らず、"何かへの感想や考え"というのは、他人の意見やSNSでの批判などの外的要因に容易く左右される非常に脆いもの。

そんな中で、純粋な自分の意見を捻り出すというのもまた、非常に難しい。

かと言って人の意見に影響された自分の意見なんて、なんの価値もない。無価値の生産ほど無駄なものはない。

ここまで自分の意見を重要視する人間が、あろうことが他者に対して、その人自身の純粋な考えを生み出す機会を奪ってしまうなんてもっての外である。

だから、僕は人にモノを勧めることは本意ではないのだ。

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とはいえ、他者からモノを勧められたくないから、他者にモノを勧めてはいけないなんてことはない。

勧めたければ勧めればいい。

勧めたくないなんて後ろ向きな考えは、本来なくていい。人の意見に左右されたくないなんて、自分勝手に尖りきった思いの果てに生まれたくだらないエゴだ。

本当に従うべき考えは、"それ"を勧めたいか勧めたくないか。より前向きな気持ちを大事にしよう。

 

好きなものを拒絶されたくない

人に好きな作品を勧めない理由の9割9分9厘はこれ。

勧めたことで、「そういうの興味ないんだよね」という言葉・態度を受けたくない。

曲解甚だしいのは承知だが、趣向を否定されて、相手との間に深い溝を感じてしまうのだ。

これには主に自分の豆腐メンタルが起因しているのだが、それとは別に、僕は今まで趣向の一致のみで友人関係を築き上げてきたのも大きい。

また、他者の好みや不得手に理解のある人間に甘えてきた部分も大いにあったはずだ。

一般社会では、人の好みに対して理解を示そうとするなんて回りくどいことなどしないし、趣味の合わない人の好みなんてどうでもいいのだ。気の合う部分でだけ馴れ合って、それ以外は見向きもしない。

それが効率よく両者共笑顔で関係を結んでいられる最良の友達付き合い。のようだ。

 

人にモノを勧めるということは、自分の好みをプレゼンするということと同義だ。

先程は、"わかってくれない社会に適応できない俺だぜ(意訳)"みたいな語りで綴ったが、実際のところは、うまいプレゼンによって友人に新たな趣向を作り出すことが現実的な、否定されないモノの勧め方だろう。努力するなら、人を選ぶことよりプレゼン力を鍛えることだ。

 

とはいえ、「最近〇〇見たんだけど面白かった」といった語り出しに対し、「へぇ」しか返って来ない会話では、どうしても2手目につっかえてしまう。"興味ないのかな"とか、"これ以上ドリブルするのは良くないかな"となる。

もっと面の皮を厚く、会話を続けて、相手の興味0を興味1にするところから始めよう。

 

 

 

書き始めはもっと書くつもりでいたのだが、まとめてしまうと思いの外小規模になってしまった。

先にも書いたが、この日記は自戒としての役割が大きい。一度書いておくと記憶に残るので後々便利なのだ。

ほら、電話をかける時って予め言う内容をメモしてからかけるでしょ?…………やらない?そう…

 

 

おわり

【エルデンリング】ちょっと触った感想

 

ゲームに限らず何でもそうですが、やり始めの感想って、終わってからの総括した感想に押しつぶされて忘れてしまいがち。

いつもなんとなくもったいないなぁと思っていたので、昨日はじめて触ったエルデンリングの、やり始めの感想を少しまとめてみます。

 

グロい

グロシ。何よりもこれ。正直終わってからもこの感想はぶれないと思う。

僕はいまや、グロいゲームをやってこなかったからグロが苦手なのか、グロが苦手だからグロいゲームをやってこなかったのか、まったくもってわからないレベルでグロいゲームの経験がありません。一番グロめなものでもモンスターハンター2Gですかね。昔のモンハンシリーズは今よりも結構血ぶしゃーって出ていた気がする。

 

このゲームは、敵ビジュアルはグロいわ、流血表現はグロいわ、効果音や演出もグロいわで、グロてんこ盛りな印象。とはいえ若干慣れてきた上に、歳とともに耐性がついてきたようです。内心キッツ〜っておもいながら元気にやっています。キッツ〜って思うだけなら辞めてるんですが、難易度や自由度がなんとなく僕を引き留めて離しません。要するに面白さ>グロ。やっぱおもれぇよこのゲーム。

 

思ったより自由度のないアクション だがおもしろい

昨今のアクションゲームでありがちな、方向キー+攻撃ボタンみたいな入力がないことで攻撃の種類が少ない。

一見素朴なプレイフィールになりそうだが、戦闘自体が高難度すぎて、あまり出せる技を増やしてしまうと"難しい&ややこしい"でクソゲーと化すのは間違いない。むしろこれがいい味を出していると言って良い。バリエーションが少ないということは、腐る技も少ないということ。嬉しいことしかない。

 

とはいえ、武器種が違うのにモーションが似ている武器が多いのが気に食わないところではある。

武器種の多さには感服するが、動きが似ているとどうしてもつまらなさを感じる。個性も見た目やSE以外にあまりない印象。強いていうなら属性の有無か。

 

先行入力のゆるさ

おそらくガチャプレイへの防止策である。

何らかのモーション中のほぼすべてのタイミングで、次のボタン入力を受け付けている。おかげであらぬ二連攻撃や、意図しない連続回避で死にかける。否、死ぬ。軽い武器ならまだしも、大斧や特大剣だとモロに死因になりうる。

高難度が売りのゲームでもともと人を選ぶタイトルだが、ここに関しては操作感に関わる部分なので余計にカジュアルプレイヤーお断り感の強い特徴だと思う。

 

もともと、確実な入力を求めて1度の入力で2回ボタンを押すクセがあることで僕自身だいぶ振り回されているシステムなのだが、難易度調整と思うとすんなり飲み込めてしまった。ガチャプレイ、よくない。

 

いまはこんな感じ。

やり始めの感想を書き留めようと思い、プレイ初日に書きはじめた手前、投稿する頃にはプレイ時間か40時間を超えてしまった。

率直な感想を書こうとしても、思考の論理の整理や自身の見解を客観的に分析(笑)に時間を費やし書いては消し書いては消しを繰り返してしまうのがもどかしい。やめたい。俺はもっと思ったことを人の目をはばからずに書きたいんだ!

 

おしまい

【油淋鶏】上手に揚げました~!

 

死ぬほど油淋鶏が食べたいことってありますよね。

ぼくにはありました。

 

 

ということで今回は油淋鶏を作りました。

うまそうっしょ?!w 

 

こういうノリ、無理です。

 

材料とか作り方とかは自分が作ったときの感想と反省点をまとめるだけにとどめるので実際に作りたい人は、使ったレシピを一番下に載せておくので参考にしてください。アフィ誘導とかではないです。

材料(1人前)

鶏もも肉:100g

実際は500gで2切れ入っている物を買って、1切れを半分に切ったものを使いました。

100gでだいぶ満足いくボリュームになるのでコスパ的にも◎。

 

長ネギ1/2本

長ネギの1/2って、青いところも含めて1/2なのか白いところだけで1/2なのか謎ですよね。今回は白いところ全部を1としてその半分を使いました。

今までねぎをみじん切りするときは、表と裏に包丁を斜めに入れてそれをあとでザクザク切っていく方法を使っていました。ですが、今回は繊維に沿って包丁を入れまくってあとでザクザク切る方法(切り方は想像にお任せするか引用元のページを(ry  )でやりました。前述した方法だと、ザクザク切る段階でねぎの芯が崩れて切りにくかったのですが、今回の方法は芯を残したまま切れるのでとてもやりやすかったです。今後はずっとこれかも。

 

ニンニク・ショウガ

みじん切りです。こいつらの下処理に調理時間の1/3を使いました。

切る分にはそんなに難しくないのですが、量が多いので大変です。あと指がニンニク臭くなってきつい。

 

作る

ボウルに肉と醤油と日本酒をダーッと入れて泥遊びします。その後、小麦粉を入れて再度泥遊び。更に片栗粉を入れてまたしても泥遊び。

こうしてできた至高の泥団子を170度にヒートアップさせた油で男塾名物・油風呂。僕は油を敷きすぎてコンロに死ぬほど垂れたので、みんなは肉が浸かるぐらいだけ入れようね。

あと、泥遊び中は手がギトギトになって材料を量るなどの作業ができなくなるので、小麦や片栗粉は事前に軽量して小分けにしておこう。僕はそれをしなくて2回も手を洗う羽目になったぞ!

5分揚げて、ひっくり返して1分くらいで執行完了。キッチンペーパーを敷いた適当な皿に3分くらい休ませてあげると切ったときに旨みが流れなくなっていいらしい。知らんけど。

 

たれをつくろう。肉を揚げている間にやるのが時短的に好ましいけど、料理慣れしててだいぶ手際が良くないとやらかす原因になるから、揚げる前にやってもおk。俺が許す。油関係のやらかしは生死にかかわるレべルでやばいからね。しんどみ。

醤油とか雄とか佐藤とか江原とかさっき下処理したニンニグやショウガとか千切りしたネギ・スプリングフィールドとかごま油とかを親の仇のようにボウルにぶち込み、混ぜる。

これがあるだけで、最悪肉が失敗しても「まあ、半分は油淋鶏だよね」という雰囲気にすることが可能。すごい。

 

完成

そうしてできたものがこちらです。

キャベツがぶれて、若干エンカウント演出みたいになっているが気にしない。

 

衣が若干硬くなってしまったが、肉は柔らかく、ソースもまとまりよくできたのでとても美味しかった。

製作時間は1時間半ほど。時間のかかる作業は油の温度上げやソースに使う材料の下処理ぐらい(あと手際の悪すぎる肉の下味付け)だったので、それさえ先にやっておけば割とすぐあったかい油淋鶏が食べられるかも。

 

肉が余ったので明日の夜も油淋鶏にしようかな。

おわり。

 

引用

【絶対旨い】お家で“ザックザク食感”と“極旨ダレ”油淋鶏の作り方【中国料理美虎・五十嵐美幸】|クラシル #シェフのレシピ帖 - YouTube

【P3R】目を閉じますか?

 

ペルソナ3リロードの感想記事です。

 

ペルソナ3リロードの感想記事です。

 

 

ペルソナ3リロードの感想記事です。

 

 

ネタバレに配慮しない記事なのでやっていない方やネタバレを気にする人は今すぐ回れ右。(やらないだろ~wぐらいの人も見ない方がいい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ぼくはオリジナル版プレイ中にネタバレをくらい、萎えて途中でプレイを終えました...)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目次

 

おおざっぱな感想

第2の青春が終わった気分です。

高校生活の割合の大きいナンバリングの3,4,5では、さながら高校生活の追体験です。友達とショップで遊んで帰ったり、ご飯を食べに行ったり神社でお稲荷様にカードを増やしてもらったり(?)。

そんなわけで主人公の死をもって幕引きとなったP3では、高校生活終わったなぁという実感がとても強く、しっとりとした気分でクリア済みスタート画面を眺めていました。

 

主人公の死といえば、ネタバレ配慮空白区間うっすらと書きましたが、オリジナル版のプレイ中にくらったネタバレがこの、"主人公の死"でした。

これは自戒とともに説教なのですが、検索でなんでも出てきてしまうこの時代、攻略記事なんて見なくてもサジェストだけで容易にネタバレをくらうことができてしまうということを、ここに記しておきます。

 

...まあ、終わった気分って案外悲しすぎるものでもなくて、振り返ってみると

「ああぜんぶおわっちゃったけど、なんだかたのしかったなぁ」

というなんだか哀と楽が共存した心持です。

 

では、なによりも壁打ちしたかった気持ちはある程度飛ばせたので、ここからは少し気になったところとか面白かったところとかをずらっと書いていきます。

 

難易度Normal、いい感じ

難易度選択のあるゲームでは常にNormalを選びますが、今回はとくにいい選択でした。

ペルソナ3,4,5における戦闘はこのゲームをRPGとして成立させるためのある種お約束的な役割で、メイン要素はもっぱらストーリーや学園生活にあると思っています。

そのため、タルタロス攻略を低い難易度でさくっと終えてストーリーやコミュを進めて、ストレスフリーでテキストに集中したいんですよね。

 

ペルソナ独自の戦闘の遊びである1Moreシステムですが、道中の雑魚を全てダウンさせて総攻撃という流れの爽快感こそありますが、満月の日のボスや終盤の強い敵だとそもそも弱点がなく1Moreが取れないことがしばしばあります。

戦いの面白さ・気持ちよさを1Moreシステムに集約しているが故に、ボス敵との戦闘が相対的に気持ちよくないという、ペルソナシリーズが抱える問題点です。

そのため、突き抜けた考えにはなりますが、難易度をストレスの感じにくい程度のものに抑えて戦闘をスムーズに、ストーリーを集中して、というプレイングが僕にとってはよりよかったです。

難易度Normalだと、主人公のペルソナをクリティカル発生に全振りして、クリティカル発生で1more>総攻撃で強い敵や中ボスも倒せるぐらいのHPなのでシームレスに戦闘を終えられました。

食いしばり系スキルの活用もありましたが、難易度Normalは気を抜かなければ(そこそこ命を大事に立ち回れば)一度もGameOverせずにエンディングまで突っ走れる難易度です。サントラではじめてリメイク版のGameOverのBGMを聞きました。

 

とはいえ、難易度の高い戦闘をこなしてこそストーリーが沁みるんですよ!Normalなんて甘え!という気持ちはもちろんわかります。僕ももっぱらそっちの人間だったので。

でも今回は、"絶対に途中で辞めない""時間的制約や長期間のプレイだとダレることを考えて2週間くらいで完結させたい"という気持ちのもと難易度を選んだという経緯です。

 

結局のところゲームを始めたときにどうやって遊びたいかを自分と相談して決めるのが一番いいです。上述した遊び方は一例。好きに遊べばいいし、ダレたら難易度落とせばいいさ。あ、でも難易度Lunaticはニューゲーム時にしか選べないらしいです。

 

 

戦闘システムについて語るらしい

いろいろと言いましたが、Personaシリーズの戦闘は最高レベルの整い方だと思っています。

特に好みなのは1moreに係る弱点や総攻撃のシステム、あとは状態異常関連。マップで背面攻撃をして戦闘に入る奇襲システムも好きです。

 

モチベーションのある戦闘は楽しい

1moreシステムしかり、総攻撃のおしゃれな演出しかり、シャッフルタイムしかり、常になにかやりたいことがある戦闘が繰り返されるというのは楽しいです。

 

総攻撃フィニッシュによってシャッフルタイムが確定で発生するというのは、弱点を探って1moreを取るモチベーションに繋がるいいシステムですよね。

いちいち違う属性の攻撃を当てて虱潰しに弱点を探さないといけないという一見面倒くさい弱点システムですが、総攻撃とのコンビネーションでうまく面倒くささを面白さに昇華しているのが、ゲーム作るのうまいなぁと常々思うところです。

 

また、中盤くらいで、序盤の経験を生かすと敵の使ってくる技や見た目などで弱点がおおよそ判別できるように調整されているのも素晴らしいです。前述した1moreと総攻撃の流れは、うまくゲームの意図した通りに操作できたプレイヤーへの明示的なご褒美でしたが、こちらはゲームをある程度プレイして経験を活かす場を与えてくれているという、いわば暗黙的なご褒美ととることができます。

これがあるかないかで中盤のモチベーションはだいぶ変わっていたと思いますね。正直に言って、フェードアウトしたRPGは数知れない僕ですが、離脱する時期として最も多いのが中盤の中だるみを感じてきたタイミングです。序盤で盛り上げすぎてこうなるパターンが多い気がします(個人調べ)。

 

状態異常が強いゲームは、推せる

まあ、つよすぎてもつまらないんだけどね。

ぼくはゲームをあまり知らない人に好きなゲームを聞かれた際には必ず「ファイナルファンタジーが好き」と答えるのですが、その理由は名が通っているからということと、戦い方がたくさんあるからです。

"反射した攻撃は更に反射されることがないから、あえてリフレク状態の味方に魔法を撃つ"とか、"ボスなどの強力な相手にも効く状態異常があって知識を活かせる"とかです。

僕はこういったただ攻撃するだけではなく、テクニックを駆使して一見変な動きを見せるも、結果的に強い行動になるというプレイがとても好きです。

そこのところ、ペルソナシリーズではそういったプレイをとっつきやすくしつつ面白みのある仕上がりだと思います。

ストーリー攻略中に使ったのは、"動揺状態にさせると物理攻撃のクリティカル率があがる"、"体力の著しく高い相手を毒状態にして割合ダメージをあたえる"、"特定の状態異常の相手を確定で即死にする"などですかね。

特に、"弱点のない的には状態異常の通りがいい"、というバランスが抜け目ないですよね。仲間の覚えた状態異常系スキル、あまり使わないなと思っていたら使い所が出てきて目からウロコでした。

とはいえ、"混乱"、"淫欲"、"ヤケクソ"の状態異常については、行動制限というメリット以上の効果があまりなく、効くかどうかも分からない相手に使うモチベーションはあまりありません。結果的に、ほぼ敵専用の状態異常になっているのは残念でした。

ですが、これについては、低い難易度を選択していて戦闘が長引かないからというのが根本的な原因のため、高い難易度で遊ぶ人のための上級者スキルという位置づけなのでしょう。

特にヤケクソは、"物理攻撃を反射する敵が、物理攻撃しかできないヤケクソ状態にするスキルをこちらに積極的に使ってくる"という戦法をしてきてなかなか手強かったです。あえて主人公を一人にして攻略するときなんかは応用できそう。

 

ストーリー

作品の至る所にプレイヤーを死と向き合わせる仕掛けが散りばめられている、しっとりと暗い印象のストーリーですが、終えてみて、P3は、"生と死という前提の上で我々は生きているということの再確認"的なお話だったのかなと思っています。

普段死ぬなんてこと考えないような若い学生の主人公がメインストーリーやコミュを通じて死を身近に感じていくとともに、生きるとは死ぬとは何なのかを考えていく、というような大筋ですかね。

僕があまりにも死を身近に感じる人間(最近知ったがタナトフォビアと呼ばれる一種の精神疾患らしい)なので、12月に綾時くんから世界の終わりの話を聞いたあとの、仲間たちの死への非現実的な反応に半ば困惑しましたが、絶対にくる、絶対に倒せないと言われる敵を、"諦めたくないからとりあえずやってみる"という総意で倒しに行く流れは、若干のご都合主義感を感じつつも若さゆえの謎の自信と結束力と感じちょうどいい落とし所かなと思いました。

死ぬことや死んだあとのことについて深く考えると発狂してしまう僕ですが、そうじゃない時の死への考え方って、軒並み"いずれ死んじゃうけど、それまではまあなんとなくやってみるよ"って感じで結構投げやり。日常って、死への実感の有無に関わらず結局そんなもので、でもだからこそ死は身近なんだということをゆめゆめ忘れてはならないといううんぬんかんぬんってわけ。

 

それはそれとして、半年以上お世話になった(先輩らにとっては中学時代から)幾月さんの裏切りにあまりショックを受けない仲間たちや、シノギを邪魔されただけで謎に高尚な思想を掲げてくるタカヤなど、疑問符の浮かぶ展開はそこそこあったのですが、終わりよければすべてよしってことで案外納得いっております。いや終わりよかったかと言われるととてつもなく反応に困るのですが。とりあえず合唱。

 

好きなキャラクター

順平が好きです。

ちゃらんぽらんで自由気ままですが、自分にはなにもなく、それと比べてなんでもできる主人公への嫉妬心ばかりが募ってしまう、平凡な人間(ようするにぼく)のうつし鏡のようなキャラクターです。

2年前にオリジナル版をプレイしていた時は、その時点での現在の自分を見ているようで同族嫌悪甚だしかったのですが、今になってリメイクとしてプレイしてみると、過去の自分を見ているようで懐かしさとほんのり憐れみを感じ、終止感情移入しっぱなしでした。

一番憎くて一番の親友だった主人公のいない世界で、彼はそのあとどう生きていくのでしょうか……

 

そんなことは聞いてないんだよね結局のところ誰と付き合ったのさ?

……………美鶴先輩とゆかりとアイギスです………。

………本当は風花とも付き合いたかったけどコミュ足りませんでしたorz

刑死者コミュの女の子から、おとなになったら結婚しようとお約束のセリフを言われ、それまで絶対に彼女は作らないぞと決意して2ヶ月後、学園のマドンナ美鶴先輩と契りを交わしていました。

いけすかない許婚との諍いに巻き込まれたあげく、どさくさに紛れて想いを打ち明けられてしまい、完全に墜ちました。えっ断れないけど。てか好き。はげそう。

やっぱり頼れる女の子の意外な一面って脳にビタッと焼き付いて離れないんですよね。「恥ずかしいぞ…」とか「お前だけだぞ……」とか言われて嬉しくない人いるんですか?いる?お前とは絶好だよ

と、そんな感じ。実は始めた時点で美鶴先輩一人と付き合おうと考えていましたが、刑死者コミュで一度自制しようと改心。そして再度女帝コミュで分からされ、舞子ちゃんのためにたくさん女性経験を!とかふざけた言い訳を胸にゆかりとアイギスにもダメ男を発揮しました(おそらく)。

 

散々美鶴先輩の話をしといてなんですが、アイギスのコミュ10シナリオがそれはもう…えっちな内容で、??????????????????何いってんだこいつって思ってました。てか、1月入ってから情緒に富びまくってるアイギス良すぎる………

あんたもう人だよ。

てかアイギスって12月までと1月からでタルタロスでの戦闘ボイスやマップでの掛け合い台詞、家庭菜園のセリフまで全て差し替わってますね。そのままだと確かにキャラが違いすぎるとはいえ、こだわりと作り込みを感じる好きなポイントでした。もしかして任侠小説を読むコミュって一月には発生しないのかな?1月以降のアイギスが任侠小説で12月以前のような感銘を得られる気がしません。人が変わりすぎてる。

 

ゆかりっちはリメイクで死ぬほど可愛くなったなと常々思っていた(というか総攻撃のポーズといいテウルギアのモーションといい開発陣に死ぬほどゆかりっち好きな人がいそう)ので、手を出してしまった。

オリジナル版の屋久島での海辺の一件で、抱きしめて拒絶されるというお約束をこなしており、母親のこともあるので、もっと婉曲した付き合い方をしてくるのかと思ったらだいぶストレートラブだった。

彼女のお母さんには顔を通しておきたかったし、春休みには2人でデスティニーランド(新メガテンで出てきた単語でひとり盛り上がった)に行こうと思ってたのに、まさかあの時点で死にかけだとはおもわんじゃん……つらすぎ………利剣乱舞しょ

 

システム関連

人間パラメータ

ペルソナ好きすぎるシステムの一つ。P3は勇気・魅力・学力の3種類のパラメータを学生生活を通じてあげていくことになります。

シリーズでは恒例ですが、授業中の先生の指名に正解を答えることで魅力が上がったり、近所の定食屋でDHAを豊富に含んだお魚定食を食べると脳が刺激されて学力が上がったり、原材料が謎な怪しいハンバーガーを平らげて勇気を磨いたり、ツッコミどころ満載な手法でパラメータを上げていく様は、基本的におしゃれでクールな雰囲気のペルソナの意外な一面ですよね。

今作のパラメータ上げ行動でウケたのは

  • 一人カラオケで熱唱中に店員が部屋に入ってくるも気にせず熱唱し勇気UP
  • 明らかに子供向けなオセロゲームソフトで、負かすと大泣きする動物キャラクターたちに動じずオセロを打ち続け、すべてを大泣きさせて恨めしそうな動物たちを尻目に勇気UP
  • チュートリアルを手取り足取り懇切丁寧に教えてくれたゾンビのキャラクターをなぎ倒すタイピングゲームをプレイして学力?UP

など。漫画喫茶で買えるPCソフトはどれもバラエティに富んだ内容で面白かったです。

 

バイト

P3Rではバイトもあります。(オリジナル版にはなかった気がする)

シャッフルタイムでお金の小アルカナを取らないと所持金が全く増えないことに気がつかず、序盤は結構バイトありきなバランスなのかなと思っていましたが、ゲームの進行で次第にタルタロスがATMに見えるレベルまで獲得金があがったのでバイトはあまりやりませんでした。

どちらにせよ序盤はある程度バイトをこなさないとお金はかつかつなので、コミュのない暇な夜はシャガールでアルバイトするのもあり。

そういえばP5の牛丼屋みたいなミニゲームはP3Rにはありませんでした。

 

コミュ

本作が"死"を題材に取り扱っているだけあって、コミュも"死"にまつわる話が多いですね。オリジナル版に引き続きぼくは太陽コミュの神木秋成くんが好きなのですが、法王コミュの老夫婦や、月コミュのグルメキング、星コミュの早瀬くんなんかも身近な人の死にまつわるお話で、自分だったらどうなんだろうと考えながら話を読んでいました。

 

特に月コミュのグルメキングは、出来のいい弟へのコンプレックスからだいぶこじらせている人間のようで、彼の暴飲暴食はその反動なのだとか。ですが、コンプレックスを煮やして哀しく生きているキャラクターには何かと惹かれてしまう人間故、嫌いにはなれませんでした。まあでもここまで嫌われる要素満載のコミュって、嫌いな人からみれば結構しんどそうですよね。嫌いなのに仲良くなりに行かなければならない訳ですから。僕も7段階か8段階かのコミュで怪しい宗教に勧誘された時はさすがに「こいつおわってるやん」って口から漏れました。

それはそれとして、NPCのセリフからうかがえるように、汁まみれで結構汚いようなので、リアルではお近づきになりたくないタイプの人間なのは間違いないようです。

 

先に言及しましたが、やはり太陽コミュは好きです。

余命いくばくもない病弱の青年に聞く死の間際の死生観はゲームキャラの台詞ながらも重たくのしかかってきます。彼も言っていますが、死生観なんて人それぞれで、自らの生き死になんて他人には干渉できない領域なんですよね。そこに同情や哀れみなんて必要ない。

とくにピンクのワニと小鳥の話の、"個人にとって生きた意味はないが、その後を生きるものにとってはその人が生きた意味がある、つまり誰もが『生まれた』ことが生きた意味だ"という台詞ですが、まったく、今の僕にはこれ以上の生きる意味を見出せる気がしません。

こんな話、親や学校の先生に聞いたって正直沁みないし、なんだか難しいこと言ってんなと一蹴してしまいがちですが、ゲームのキャラクターが話すとなんだか考えさせられてしまいます。こんな説教もすんなり心にすんなり入ってくるし、ゲームって素敵だ!などと評価するのはいささか不満ですが、ゲーム、いと素晴らしきかな。と僕が思う一面であるのは間違いありません。

 

別コンテンツとして独立してもやっていけるレベルでいい曲ぞろい。

ですが、ストーリーや戦闘を伴って聴いてこそゲームBGMは印象に残るんでしょうね。

何も知らずに全てを終えた先で聴く"すべての人の魂の戦い"やBurn my Dread -Final Battle"の感動は計り知れないでしょうね。ぼくはプレイ前にサントラを聴いてしまった哀れな先走りマンなので「うおおあれだぁあぁ!」という陳腐なファーストインプレッションになってしまったのが本当に惜しい。それでも最終戦として今までの曲のフレーズや本来戦闘曲でない"すべての人の魂の詩"のコーラスを引用したりと最高の要素を詰め込んだ文字通りの神曲で、今回のプレイを通して言葉を尽くしても尽くしきれないような(語彙力と文章力がないだけだが)思い入れができて嬉しいです。

 

勝手な妄想

オリジナル版と同じく今作の舞台は2009年~2010年の東京ですが、"死"という主題の陰に、日本社会全体の陰鬱な雰囲気が漂っています。社会全体が抑圧的な雰囲気であることがシャドウやニュクスの出現を増長させているということもあって、なんやかんやリーマンショックや平成不況のようなオリジナル版発売あたりの時期のリアルな社会背景も取り入れているのかなぁと邪推。まあその頃の僕は天田くんよりも一回り小さいガキだったんで、その頃のこととかなんにも分からないんですけどね。

 

まとめ

お話も戦闘も面白い!ファンタジーRPGに飽きたらやってみて!

て感じです。12月からのお話はなかなかにショッキングなので、精神的に安定しているときにやるのが吉。僕は物語の大筋は(ネタバレで)ある程度知っていたので、1月から精神統一(コンセントレイト)をして備えていました。......引くほど豆腐メンタルなんだ。

 

という感じで感想締め。

本当はやっていない人向けの紹介記事なんかも書きたい所存ですが、1記事書くのに死ぬほど時間を食うのと、人におすすめするというのがそもそも苦手なのでどうなるかは神のみぞ知る。

 

というわけで。

 

コンゴトモヨロシク。