咳をしてもloneliness

孤独と向き合う壁打ちブログ

なぜ弱いキャラを使ってネガってはいけないのか

 

僕はゲームジャンルを問わず、いろいろな武器やキャラクターの中から弱いものを使って、弱いものなりの個性を引き出すような遊び方が好きです。

弱いものを使う以上勝ちを狙うのは茨の道なのですが、それに関しては以前の記事で示した通り、最近は勝ちを狙うよりも使う過程(成長)を楽しんでいるのでそれなりに遊べています。

 

こういったプレイスタイルは、ゲームを好む人々の中では特に珍しいものでもないのですが、数ある遊び方の中ではネガティブな話題を呼びやすい傾向にあります。(偏見)

というのも、前述した通り勝ちやすい遊び方でない性質上、ストレスが溜まりやすくSNSにて文句や愚痴が散見されやすいのです。

 

これに関して以前は「しゃーないよなぁ」ぐらいに考えていたのですが、少し僕の中で考えがまとまりつつあるので、今回はその断片をここに残しておこうと思います。

 

なお、これから僕が書くゲームプレイへの批判や意見は僕自身がそうありたいと思う個人的な思想です。他人のゲームプレイを非難したり改善を求めるものではありません。

 

 

同じ山登ってないってこと

 

愚痴や文句を見聞きして不快になるのは、それに納得・共感できないからです。

特に、愚痴や文句を言う正当性に欠ける場合、その受け手はなおのこと不快感を覚えます。

 

弱いキャラクターや武器(以下キャラクターと省略)を使って文句を言う行為に不快感を覚え、度々話題に上がるのはこの2つのどちらにも該当するからではないでしょうか。

 

 

そもそも勝敗の決まるゲームにおいて、勝ちに寄与しにくいキャラクターを使うのはゲームの一般的な遊び方に反していると言えるでしょう。

ということは、勝敗の為に強いキャラクターを選ぶプレイヤーにとって弱いキャラクターを使うこと自体理解できるものではないのです。

 

更に、一般プレイヤーから見てあたかも自分で自分の首を絞めているかのようなプレイングの上で、それについて文句を言っているのは間違いなく正当性に欠ける物言いです。「じゃあ強いキャラ使えよ」と言われても何も言えないのではないでしょうか。

 

一般プレイヤーにとって、弱キャラを使ったプレイはもはや同じ山ではなく、その登山に関しての文句を言われても「お前と同じ山登ってないし...」と感じ、共感などもってのほかというわけです。(文句の受け手は、仮にそうでなくてもその文句が同意や共感を求められていると感じがちです)

 

 

 

もし弱いキャラクターで勝ちを狙おうとしているとき、もしくは使っている好きなキャラクターが弱そうだと思ったときに、その弱さに文句を垂れたくなったら一度立ち止まって考えてみましょう。俺はいま勝ち方を選んでいるのではないか。このキャラじゃなくてもいいんじゃないか。と。