咳をしてもloneliness

孤独と向き合う壁打ちブログ

【雑記】人にモノを勧められないねぇ君は

 

ペルソナ5

 

僕の人生をより彩りあるものにした数あるゲームの中でも特に印象に残っている作品。コーポレーションを育む過程での個性豊かな人々との出会いには心を打たれ、日常の何気ない一幕(図書館で自習したりアルバイトしたり)で成長する主人公の積極性に感動した。実際に、プレイ後とプレイ前でコミュニケーションへの抵抗感はより前向きな方向へガラリと変わったし、やってみたいことはとりあえずやってみるくらいの積極性は身についたと思う。

 

そう。ペルソナ5はもはや僕の人生のバイブル。このゲームには、人間が備えるべき社会への肯定感や自分を見つめ直すきっかけが詰まっていると、本気でそう思っている。

 

だが、だからと言って安易に人に勧めようとはしない。

僕には、好きな作品を他人に勧めたい『前向きな気持ち』と、安易に人に勧めてはいけないという『後ろ向きな気持ち』の2つが存在しており、混沌を極めている。まあ、有り体に言うと、この混沌がどちらかと言うと後ろ向き優勢であるため、現在では安易に好きな作品を人に勧めないというスタンスに落ち着いているのだ。

ということで今回は、僕が(少なくとも現在の自分)なぜ人にものを勧めないか、長年モヤモヤしていた題目だったのだが、少し考えがまとまったので書き残しておく。

先に断っておくが、これは未来の自分への書き置きと、個人的な考えの整理が主な目的である。

そのため、ここに書くことは普遍的な正解不正解ではなく、僕自身が個人的にそうしたいと思うことである。

なんとなく、本当になんとなくこういった文句を書いてしまうことも、僕が人にモノを勧められない理由の一つであることは間違いない。

 

勧めることが本意ではない

この話には、僕の作品に対する大きな前提が必要である。それは、"僕は作品に対しての僕自身の意見を、他者の考えに左右されたくない"というものである。

友人などからゲームなどのモノを勧められてそれに触れるとき、僕は『勧められたモノ』として認識してしまう。自ら触れたモノと違い、純粋な気持ちでいることができないのだ。

往々にして勧められたものというのは、勧めた側の主観で見たモノの価値観が付随する。

"〇〇ってキャラが良くてさ"とか"あの演出が見どころで"とかである。

それが、例えばゲームであれば、『あいつってこういうキャラが好きなんだ』『この演出見どころはあるけど言及するほどじゃないな』といった具合に、僕が作品に覚える感覚に、他者の意見が影響してしまう。もし、それが勧められたものでなく、他人の意見を知らずに触れていれば、『このキャラいいやつだな、好きかも』や『この演出いいな、おもしろい』と思えたかもしれない。

 

ちなみに、僕は基本的に友人の好きだと言っているキャラクターには強い距離感を覚える。何なら嫌いになるまである。友達の彼女に覚えるそれに似た何かと言って伝わりますか。………。きめぇなこいつほんと

 

サブカルチャーに限らず、"何かへの感想や考え"というのは、他人の意見やSNSでの批判などの外的要因に容易く左右される非常に脆いもの。

そんな中で、純粋な自分の意見を捻り出すというのもまた、非常に難しい。

かと言って人の意見に影響された自分の意見なんて、なんの価値もない。無価値の生産ほど無駄なものはない。

ここまで自分の意見を重要視する人間が、あろうことが他者に対して、その人自身の純粋な考えを生み出す機会を奪ってしまうなんてもっての外である。

だから、僕は人にモノを勧めることは本意ではないのだ。

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とはいえ、他者からモノを勧められたくないから、他者にモノを勧めてはいけないなんてことはない。

勧めたければ勧めればいい。

勧めたくないなんて後ろ向きな考えは、本来なくていい。人の意見に左右されたくないなんて、自分勝手に尖りきった思いの果てに生まれたくだらないエゴだ。

本当に従うべき考えは、"それ"を勧めたいか勧めたくないか。より前向きな気持ちを大事にしよう。

 

好きなものを拒絶されたくない

人に好きな作品を勧めない理由の9割9分9厘はこれ。

勧めたことで、「そういうの興味ないんだよね」という言葉・態度を受けたくない。

曲解甚だしいのは承知だが、趣向を否定されて、相手との間に深い溝を感じてしまうのだ。

これには主に自分の豆腐メンタルが起因しているのだが、それとは別に、僕は今まで趣向の一致のみで友人関係を築き上げてきたのも大きい。

また、他者の好みや不得手に理解のある人間に甘えてきた部分も大いにあったはずだ。

一般社会では、人の好みに対して理解を示そうとするなんて回りくどいことなどしないし、趣味の合わない人の好みなんてどうでもいいのだ。気の合う部分でだけ馴れ合って、それ以外は見向きもしない。

それが効率よく両者共笑顔で関係を結んでいられる最良の友達付き合い。のようだ。

 

人にモノを勧めるということは、自分の好みをプレゼンするということと同義だ。

先程は、"わかってくれない社会に適応できない俺だぜ(意訳)"みたいな語りで綴ったが、実際のところは、うまいプレゼンによって友人に新たな趣向を作り出すことが現実的な、否定されないモノの勧め方だろう。努力するなら、人を選ぶことよりプレゼン力を鍛えることだ。

 

とはいえ、「最近〇〇見たんだけど面白かった」といった語り出しに対し、「へぇ」しか返って来ない会話では、どうしても2手目につっかえてしまう。"興味ないのかな"とか、"これ以上ドリブルするのは良くないかな"となる。

もっと面の皮を厚く、会話を続けて、相手の興味0を興味1にするところから始めよう。

 

 

 

書き始めはもっと書くつもりでいたのだが、まとめてしまうと思いの外小規模になってしまった。

先にも書いたが、この日記は自戒としての役割が大きい。一度書いておくと記憶に残るので後々便利なのだ。

ほら、電話をかける時って予め言う内容をメモしてからかけるでしょ?…………やらない?そう…

 

 

おわり