咳をしてもloneliness

孤独と向き合う壁打ちブログ

2023/08/06 振り返った日

 

昼間は就活先に提出するエントリーシートを書きながらカゲロウプロジェクトの曲を聴いていた。いにしえの時代のボカロ曲である。

というのも、昨日のつくばの帰り、なぜだか頭の中で延々と件の作品群が流れ出し哀愁で死にそうだったので、死を回避するために今日は直接脳にインプットしたかったという訳。どういう訳?

 

久々に聴いてもいい曲だった。メジャーを嫌いマイナーに準じた僕の青春時代では、ボーカロイドはさながらメジャーデビューした地下アイドルのように突如大衆の目につくものとしてとして祭り上げられ、そのとたんに聴くのをやめてしまった。周囲の逆張り仲間に影響されて、子供っぽいだのなんだのと揶揄したこともあった。

そんな人間にも、作品は常にあの頃のままを提供する。作品は時をこえて人々に平等だと思った。

 

これは今日の運動の記録。約2週間ぶりのリングフィットだったらしい。めちゃくちゃしんどかった。もどす一歩手前。幾度となく反省したことだし、今日の取り組み中もずっと考えていたことだが、あえてここにも書いておく。続けられる負荷で無理なく取り組みましょう。まあ、その念あってか無理してジョギングに出ることはなかった。ワイドスクワットによる足が上がらないデバフがついたことも大きな要因ではあるが。この手のものは往々にして、瞬間的な熱量よりも継続的に行うという気楽な意志が大事。

 

今日の取り組みで思ったことは、"頑張り"を他者からの評価に依存してはいけないということ。他者からの頑張っているね!という評価がなければ、どれだけひたむきに取り組んでも能動的に自己評価できないというのは、いずれ精神的に破滅する未来が決定している。他者はあまりにも残酷に気分で他人を評価して、飽きたら一切関与しなくなる。

本当に必要なのは、自らの取り組みが自分にとってどれだけの価値があるものであるかを判断すること。自分用の物差しを用意することだ。取り組みが定量的に評価できればそれは自己の理解につながる。それが仮に自らを肯定する材料にならなくても。

 

他者の評価は甘い蜜だ。自身が他人の価値観を揺るがしたという実感が、自分の物差しの長さをあいまいにして、依存させてくる。

大切なのは常に自分だということを、ゆめゆめ忘れないように。

 

 

ところで、一昨日の日記で"明日(8/5)はつくばの記事になるだろう"的な文言を書いたわけだが、決して行かなかったからかけていない訳ではないから安心してほしい。

旅行記としてまとめたいので少し時間をかけようと思う。でもボリュームは期待しないで。

 

 

 

おわり。