咳をしてもloneliness

孤独と向き合う壁打ちブログ

楽しく対戦ゲームをやるために

 

 

対戦ゲームをやるモチベーションは人それぞれあるかと思いますが、僕のモチベーションは主に、"ストレスを溜めないで健康的に上手くなりたい"といったものです。

都合がよく聞こえますが、ストレスがたまることでそのゲームからフェードアウトしたり平常時の感情の起伏にも影響がある場合が多いと感じているので、あながち建設的なプレイ思考なのではないかと思っています。

 

以前はプレイの良し悪しで気分が変わったり、負けがかさむとやる気がなくなっていったり、プレイの質を人と比べて一喜一憂したり...

感情の振れ幅が広く、モチベーションが瞬間的なプレイングの出来高に左右されて不安定でした。

 

そして感情の起伏(特に怒りや悲しみの感情)は、良くも悪くも多かれ少なかれ他人に影響を与えます。

対戦相手やチームメンバーが怒り出したり泣き出したりしたらとりあえず身構えますし、特に自身のプレイングに対する批判とは他人が口出しできる範疇にないこともまずまずあるので、ただネガティブな話を垂れ流す人間になってしまいます。個人的にはやるのも聞くのも嫌いです。

 

というわけで、最近謎に実践できている対戦ゲームの健康的なプレイについて一つ考えがまとまったのでここに置いておこうと思います。

 

勝ちを狙わないこと

これに尽きると思います。

考えがまとまったとはいえはっきりと説明できる自信はないので先に結論を言っておきます。

勝敗のような不安定な評価よりも、試合中に何が出来ていたかのような絶対的な要素をプレイの評価軸にしようよ、ということです。

 

⇩ここから拙い説明です。

 

勝敗を分ける大きな要因は"技量差"と"運"の2つに分けられます。(僕はそう思っています)

"技量差"は明白で、上手い下手の話です。"運"はそれに比べて複雑で多様です。マッチング運だったりゲーム内乱数だったり突然の親フラだったり。

 

昨今のオンライン対戦ゲームではある程度実力の拮抗したプレイヤーとの対戦になります。おのずと技量差の影響を少なくプレイができているわけです。

そうなると勝敗を決める"運"の割合は相対的に大きくなります。

 

ではなぜ対戦ゲームでストレスがたまるのか、感情を揺さぶられるのか、それはそれに賭けるものがあるからです。

砕いていうと、勝敗で上下する評価値です。

例を挙げるなら、ランクマッチのランクポイントですね。雀荘なら帰宅時の懐具合でしょうか。感情の振れ幅の大きい人ならば試合後の感情も賭けるものに入りそうです。

 

なるほど。大部分が運をしめる試合の勝敗によって賭けたものが上下する様に感情が揺さぶられることで大きなストレスを生みそうです。

 

ゲームの本質は遊ぶことです。ですが勝ちたいことも事実です。ならば、勝敗に関わる運の要素を認めたうえで遊ぶかどうかでストレスの溜まり方は変わってくると思いませんか。

 

気にするべきは"過程"であるということです。

 

試合の過程を評価軸に置くことで、できなかったことは改善点に、できたことは評価点になります。あるいは勝敗を気にしている時よりもよりはっきりとそう判断することができます。

そして直していける所と評価できる所が鮮明に可視化されると、自身のプレイへの評価が勝敗に関わらずポジティブに寄るので健康的に遊ぶことができるんですね。 

 

デメリット

都合のいいものには必ずデメリットがあり、これも例外ではないのです。

ですが、これは楽しく遊ぶ上でのデメリットではなく、この思考で高みを目指す上でのデメリットです。

 

それは、自身のプレイへの評価が高みを目指すモチベーションとして完結しているので、満足感が生まれるとプレイが続かなくなってしまうという点です。

普通のプレイ思考では、ストレスを原動力に改善点の修正に取り組むことができる場合がありますが、それがありません。

常に"改善点を発見できるようなハイレベルな環境に身をおく"ことで、改善点の修正作業を止めないプレイングが必要になります。

 

改善点の生まれない試合を続けると満足感が発生して、成長していく楽しさよりもインスタントな勝利の快感の比率が増していき、そのままフェードアウトしたり、勝敗を評価軸にした以前の価値観に戻ります。

 

 

 

高みを目指しているのにストレスを溜めないプレイヤーは数多く見てきましたが、自身もその一人になりつつあることを嬉しく思っています。

先述の通り改善点を見つけ続けるという点においてはまだ実践しきれていないところがあるので伸びしろとしてこれから深めていきたいと思います。

 

おわり。