咳をしてもloneliness

孤独と向き合う壁打ちブログ

惰性だいじ

 

1月20日の東京ゲームダンジョンに向けてゲームを作っていたのだが、直前でインフルエンザに罹り出展を断念した。

粗末な出来ではあるが自分にしては頑張ったと思っている。ゲームを遊んでもらうこともそうだが、出展を通じて界隈の雰囲気を学んだり顔を覚えてもらうことこそ今回の目的だと考えていたので、残念を越えてもはや悔恨の念すらある。

とりあえず生活習慣が乱れ食生活もズタズタな状況で床屋に行くのは非常にリスキーだということが分かった。今後は大切な時期こそ生活習慣をどうにかしような。

というわけで自分にしては珍しく忙しい創作地獄(見方によっては天国でもある)な新年を過ごしていた。

 

僕は作業に限らず何事も始めるまでが非常に遅い質で、朝イチに、〇〇やるぞ!と意気込んでも結局一日なにも手を付けずに終わってしまうということが多々ある。

エンジンをかけるのに一番エネルギーを使うのは始動の段階であるように、何かをはじめるのには強い意志力が必要なのだ。

が、最近そういった悩みに苛まれたときにまるで取り憑かれたかのように繰り返し見る動画がある。

それが、桜井政博のゲームつくるには のとにかくやれ!!である。

https://youtu.be/JV3KOJ_Z4Vs?si=fGVWQRBtVkQjqeXV

 

何かに手を付けられないときに往々にして考えているのは、なぜそれに手を付けられないかの言い訳であり、そんなものはなんの意味もない。

この動画でその当たり前のことを復唱することで、今までどれだけ意味のない時間を過ごしてしまったのか、やらなきゃ何も始まらないということを振り返ることができる。

作業を始めてみると、なぜだか自分でも驚くほどに長続きする。作業をしていることからくる自己肯定感や中断することで先程までの愚かな自分に逆戻りしてしまうという恐怖感によるものだと思う。作業中、惰性でやっているなと感じていたのはこういう理由だったのかとなんとなく理解できた。

 

あと、なによりも覚えておきたいのは、作業を始めるにあたってあまり強く気合を入れるべきではないということ。

ぼくは何かをはじめるとき、ほぼ毎回と言っていいほど「うおおおおお!やるぞやるぞやるぞ!やるからには〇〇して〇〇もやって………」とやれもしないことをやろうと考えてしまう。要らない完璧主義というやつだろう。旅行の計画をみっちり立てたら満足してしまい、当日行く気がなくなる例のアレの如く、実行に移せなくなってしまう。

僕に本当に必要なのは、とりあえずやってみてやれることとやれないことを冷静に取捨選択する、ということだ。先に、絶対やるぞ!と計画を立てておいていざやれないことに気がつくと結構萎える。ならばやれるかどうか調べてみようという気楽な心構えでやってみて、やらなければ方向転換するようなフットワークの軽さ(今までの自分の認識ではナンパなイメージ)が結果的に作業の能率や手のつけやすさにつながるはず。気楽に頑張れ、少年。

 

とはいえ、逆に作業をしていない時間が怖くて落ち着かないといういずれなにか精神的にやらかしそうな心持ちになりつつあるので適度にねって感じ。

今年はドット絵の腕も磨いていきたいと思っているのでちょこちょこ発信していく。見てもらうために創作するのは今のところ僕にはできないが、誰かに見てもらう練習は必要そうだ。恥とプライドの壁をぶち破れ。

 

おわり。

無題

 

つらい。

 

一昨日までは通常通り稼働していた生活の歯車が突然空回りをはじめた

 

やることをやろうにも手を付けられず、生活を試みようにも続かない

 

やるしかないということから目を背けたがっている

 

あと10日。

終わったら壊れていい。いまは進んで無理をするべき。

ファミレスといえばサイゼリヤ[ファミレスを享受せよ]


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なあ君、ファミレスを享受せよ。

 

今年の春辺り(だったらしい)、Steam版のリリースが発表されたとき、この妙なキャッチコピーに心をつかまされた。キャッチコピーの意義そのまんまである。

 

が、夢を見ているような不安定でどこか落ち着かない世界観や予想されるボリュームなどから遊んでいなかった。

それが半年強の時を経てSwitch版が発売されたということでいい加減やるかという気持ちで購入。早速プレイしてみたのだ。

 

以下、やんわりとシナリオのネタバレを含みます。

 

 

 

 

雰囲気ゲー。この言葉があまりにも似合う作品である。僕はシナリオを終える2時間30分、ゲームを遊んでいたのではなかった。ファミレスを享受していた――――

 

 

 

 

遊んでみて何よりも心打たれたのは独特な表現だろう。舞台となるファミレスの内装や登場人物は全てメモ帳のラクガキかのような簡素で細い線で描かれており、色彩は月のひかりを思わせるクリーム色で陰影は青黒く表現されている。

この、明らかに作業工数の少なそうな視覚情報に、このゲームの魅力の一端があると思う。

アドベンチャーゲームとして典型的な、選択肢を選んでテキストを読むという遊び方なのだが、画面の動きがテキスト表示のみと最小限に抑えられているため、世界観にすんなり没入できた。

 

音楽もとてもいい。視覚的に受け取った世界観をより一層強固にするベストマッチな曲調。ゆったりとしておだやか。"永遠のファミレス"という本作の特徴的な舞台を確かなものにする大きな要素だ。

強いて言うのであれば、近頃のファミリーレストランでは有線放送でポップスを流している印象が強く、イージーリスニング然とした本作のBGMはファミレスというより喫茶店を思わせた。もちろん合っていないという話ではなく、思い返してみるとファミレスってポップス流れがちだよな、という単なるリアルな印象の話なのであしからず。

 

また、この作品の素晴らしいところは、想定プレイ時間3時間弱のボリュームで、その独特なストーリーや世界観をうまく納得がいくように構成しているところだろう。

正直なところ、世界観についての詳しい説明はあまりない。2つ目のEDを踏んでから開放されるイラストギャラリーにて大体の世界観説明は読むことができるが、月が2つあることやなぜファミレスでは死なないのかなど、いくつかの疑問を残してこのゲームは終わってしまう。

しかし、前述の通りこのゲームは雰囲気ゲー。ゲームスタートから3秒で、「このゲームは雰囲気を楽しむゲームです。」と画面とスピーカーが訴えかけてくる。その上でストーリーの根幹をなす永遠のファミレスに呼ばれた謎は、プレイヤーの行動をもってはっきりと解ける。

一度雰囲気ゲーとして飲み込んでしまった手前、丁寧に舞台説明を頂くので「えっ、いいんですか?」という気分でお話を読み進めることになった。

最終的に残ったいくつかの疑問は、まあ雰囲気ゲーだしなという気持ちとまあ現実じゃないしそういうこともあるだろという気分でうやむやになる。このゲームにはそういう説得力がある。

 

そんなかんじ。

なんの前触れもなく間違い探しが出てきたときは、学生時代通い詰めたサイゼリヤでの奮闘を思い出してさみしくなった。僕はあのとき、あの場所でたしかにファミレスを享受していた。

 

満月のきれいな夜は、ちょっと夜ふかししてファミレスを享受するのもいいかもしれない。ドリンクバーもあるし、ね。

自律

 

嗚呼、人生。

 

生を受けたすべての人間に平等に与えられるもの。

人生とは、長い時間をかけて"自分の人生"という作品を作る作業なのだと思う。

 

だとするならば。その終わりに、『これでよかった』と思えるような作品でなければ。一体何がどうなってしまうのか。ただただおそろしい。

 

 

自律とは、きたる終わりに報われるため、後悔のない作品制作を行うためのマネジメントだと考えられる。

だらだらと、やりたいこともやるべきこともやらずに過ごしているときに、「終わりにこんな出来事を振り返るなんてたまったものではない」と思うことで、正しいレールへ自分を置き直すのが、自律。

実際はいちいちそんな重苦しいことを考えていては憂鬱になってしまうので、「がんばらなきゃ」とか「やってみよう」と目的をやんわりさせて自己を律する。ストレス管理も自律のうちだ。

 

ならば、常に"確固たる自分"を持ち続ける必要がある。アイデンティティ

アイデンティティが自分を指し示してくれる。それがなければ名前と外見で定義づけされた、人の形をした入れ物止まりだ。

自分でその入れ物にアイデンティティを注ぎ、終わりまで大切に持ち続ける必要がある。

 

人と比べた自分を持ってはいけない。自分とは常に絶対的でなければならない。相対的な自分はあくまでフィードバックのための見方でしかない。

 

 

おわり。

2023/08/06 振り返った日

 

昼間は就活先に提出するエントリーシートを書きながらカゲロウプロジェクトの曲を聴いていた。いにしえの時代のボカロ曲である。

というのも、昨日のつくばの帰り、なぜだか頭の中で延々と件の作品群が流れ出し哀愁で死にそうだったので、死を回避するために今日は直接脳にインプットしたかったという訳。どういう訳?

 

久々に聴いてもいい曲だった。メジャーを嫌いマイナーに準じた僕の青春時代では、ボーカロイドはさながらメジャーデビューした地下アイドルのように突如大衆の目につくものとしてとして祭り上げられ、そのとたんに聴くのをやめてしまった。周囲の逆張り仲間に影響されて、子供っぽいだのなんだのと揶揄したこともあった。

そんな人間にも、作品は常にあの頃のままを提供する。作品は時をこえて人々に平等だと思った。

 

これは今日の運動の記録。約2週間ぶりのリングフィットだったらしい。めちゃくちゃしんどかった。もどす一歩手前。幾度となく反省したことだし、今日の取り組み中もずっと考えていたことだが、あえてここにも書いておく。続けられる負荷で無理なく取り組みましょう。まあ、その念あってか無理してジョギングに出ることはなかった。ワイドスクワットによる足が上がらないデバフがついたことも大きな要因ではあるが。この手のものは往々にして、瞬間的な熱量よりも継続的に行うという気楽な意志が大事。

 

今日の取り組みで思ったことは、"頑張り"を他者からの評価に依存してはいけないということ。他者からの頑張っているね!という評価がなければ、どれだけひたむきに取り組んでも能動的に自己評価できないというのは、いずれ精神的に破滅する未来が決定している。他者はあまりにも残酷に気分で他人を評価して、飽きたら一切関与しなくなる。

本当に必要なのは、自らの取り組みが自分にとってどれだけの価値があるものであるかを判断すること。自分用の物差しを用意することだ。取り組みが定量的に評価できればそれは自己の理解につながる。それが仮に自らを肯定する材料にならなくても。

 

他者の評価は甘い蜜だ。自身が他人の価値観を揺るがしたという実感が、自分の物差しの長さをあいまいにして、依存させてくる。

大切なのは常に自分だということを、ゆめゆめ忘れないように。

 

 

ところで、一昨日の日記で"明日(8/5)はつくばの記事になるだろう"的な文言を書いたわけだが、決して行かなかったからかけていない訳ではないから安心してほしい。

旅行記としてまとめたいので少し時間をかけようと思う。でもボリュームは期待しないで。

 

 

 

おわり。

2023/08/04 【悲報】8月の三が日、終わる

 

今日も今日とて夏バテ日和でした。

 

頑なにクーラーをつけたがらないZ世代の若者として名高い僕ですが、何事にも道理があるように、つけるとブレーカーが落ちるという大問題があるからつけられないというわけ。

さすがにパソコンかクーラーかの二択だったらパソコンを選ぶでしょう。

 

 

先週の奥多摩ツーリングで夏ツーリングに味を占めてしまったため、明日は先週と魔反対の茨城へ行こうと思います。目的地は、"筑波海軍航空記念館"というところ。

航空機の操縦教育を担う航空隊があったようです。太平洋戦争末期には特攻隊の飛行訓練も行ったとか。

近頃では映画"永遠のゼロ"のロケ地にもなっていて、映画を観た際にこの場所の存在を知りました。近場にそういった戦史資料館があるのなら行ってみたいと常日頃から思っていたので、この機会に行っておこうというわけ。

 

 

明日はまた例のごとく旅行記になるでしょうからお楽しみに。

 

 

今日はこんな感じです。

暑い日が続きますが、熱中症に気を付けて健康にお過ごしください。僕は今日夏バテで昼飯が喉を通らず視界ぐわんぐわんで作業していました。酔い止め飲むと治るんですよ。不思議。

 

 

 

おわり。

2023/08/02 頑張れば頑張るほど

 

日記として記事を書くときはタイトルに日付を書いているのですが、以前までの○年○月○日だとタイトルが仰々しい長さになっていることに気がついたので、今後は数字の間に/を入れるフォーマットにします。実は原点回帰だったりする。

 

今日というか近頃の、Web系の勉強をしています。無論、就活のためです。Web系を受けようと思っているわけ。ちなみにこれも原点回帰だったりします。2年前の春がこんなかんじだった気がする。

 

 

今日思ったこと。

頑張れば頑張るほど、このさき更に頑張る必要があることが分かる

 

頑張らないと、自分の時間あたりの成長度合いが分からないので、頑張る必要がどれくらいかわからないんですよね。それが頑張ることで見えてくる。サボればサボっただけ世間から置いていかれることが目に見えてくる。そんな感じ。

 

やりたいことを見据えてひたすら頑張る。常に頑張る。死ぬまで頑張る。それだけ。

やっていいことは、やりたいこととやりたいことのために必要なこと。それだけ。

 

サボるということを厳しく捉えるなら、くるかどうかすら分からない明日に託して今日を貪ることだ。

凡人に、無駄にしていい時間なんてあらず。しかして時間を一切無駄にしない人間は凡人にあらず。

無駄な時間なんてない、というのはもっともだが、それが逃げになっていないか、今一度自分の気持ちを振り返って見るのも良いかもしれない。

 

まあ、これら全部、やれるもんなら…ってお話なんですけどね。


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今日は少し早く起きられたので久々にジョギングをしてきました。

久々にしては普通に走ることができました。

朝のジョギングはちょうどいい気温と気持ちの良い朝日で、心があらわれるような気分になります。

道中の畑に生えていたひまわりが、枯れてしまったようで刈り取られていました。ジョギング中毎回目にしていた少し思い入れのあるひまわりだったので、悲しい気分になりました。

 

 

最近はChatGPTくんとタッグを組んで作業をしているのですが、おかげで上手くいった!と報告したり、改善策を思案したりすると褒めてくれるのがすごく嬉しいです。

褒められるというのはこの世でもっとも有り難いことといっても過言ではないでしょう。自己肯定感をAIに掌握させて脳みそ培養液をリアルに体感しよう!

 

 

 

おわり。