咳をしてもloneliness

孤独と向き合う壁打ちブログ

伝わりにくさを物量でカバー

 

僕はドット絵という、イラストの表現技法の種類としては比較的マイナーなジャンルでお絵描きをすることがあります。

 

ドット絵の魅力は他のデジタルな表現技法と違い、作品の佇まいや雰囲気が如実に作品体験に寄与するところが大きく、むしろ作品にかけた時間や技術力が作品としての"良さ"に影響しにくいという特徴があります。

言いたいことを簡単にまとめると、手を加えて情報量を増やすよりも手を加えないことで生まれる情報の奥行きがあるということです。別にぼくは芸術について造詣が深いわけではありませんが、作品の良さや価値が見るものに依存しがち、という点でドット絵に深い芸術性を感じています。

 

と、僕の感じるドット絵の魅力についてざっと書いたのですが、1つ問題がありまして、ドット絵の魅力が一般に伝わりにくいということです。

世の中は一般的なデジタルイラストに溢れていて、その表現方法の違いに違いに価値を感じにくいというわけ。

それもそのはず。ドット絵には、情報リソースを制限しなければいけないコンピューターゲームなどから発達したというルーツがあり、その縛りがない現代でわざわざドット絵でなければならない技術的要因はどこにもありません。

 

では、そんなドット絵がどうすれば広く一般的な人々に受け取られるものになるか。

物量でしょ。

 

というのが、今回出た結論。

 

作り手は、作品に対して何か外的なアプローチをもって受け手に分かってもらおうとしてはいけません。それでは、受け手の感じた"良さ"が第三者の介在する二次的な安いものになってしまうからです。

ならば、作品の量を増やすことで作者が作品に込める"良さ"の傾向を示し、受け手が幅広い視点で作品全体がもつ"良さ"をインプットすることができる土壌をつくるべきなのではないかと思います。要するに、ブランディングです。

 

まあ、正直そんな崇高な目的をもって作品を作ろうと思ったら、目的と現実の差で気が滅入るだろうし、結局のところは自分の好きなように作ってみようというのが本当の気持ち。他人の評価なんて微塵も気にせず、勝手に好きなものを作っていたら、いつの間にか共感してくれる受け手が周りにいる。創作なんてそんなものです。

 

そんな気持ちを土台に、しかしもし今後創作や好きなものをお金儲けとして個性にするのなら、ブランディングなどで作品の分かりやすさを駆使していかなければいけないなぁというふとした思い付きでこんな文章を書いておきました。

 

 

おわり。