咳をしてもloneliness

孤独と向き合う壁打ちブログ

ダイパリメイクに対する不満についての話

昨年の11月19日、幼年期ダイヤモンドパールドンピシャ世代が長年今か今かと待ちわびた、ポケットモンスターブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール(通称ダイパリメイク)が発売された。世間では、"剣盾以上のグラフィック"だの、"orasのエピソードΔのようなストーリーを深掘りする追加エピソード"などを期待されていたようで、かくいう私もドンピシャ世代の一人として、リメイクでは”やりのはしらに出現したディアルガパルキアがどういうわけか合体し、「ディアルキア」としてハクタイシティのポケモン像のネタを回収するのだろう”、”やぶれたせかいとなぞのばしょはおくりのどうくつで繋がっており、ディアルガ(パルキア)にぶっ飛ばされたアカギがどういうわけかそこに到達し、そこで再び理想の世界の実現のため万歩計アプリを起動したポケッチと共にじてんしゃで爆走しているアフターストーリー”などが実装されるだろうと期待に胸を膨らませていた。しかし、実際に発売されたのは、3Dモデルで表現された2頭身の明らかに時代を逆行するキャラクター表現や、変化のないストーリーに、早期購入特典のバグなど、期待を裏切ることに余念のない出来であった。ここでは、ゲームプレイ後の所感として「期待外れだった」とならないはずの私でさえ、不完全燃焼となってしまったダイパリメイクについて、なぜそうなってしまったかプレイヤー面とゲーム面の二方向から考えていきたい。

 

  • プレイヤー面

1.期待しすぎた

幼年期ダイヤモンドパールドンピシャ世代である自身を振り返ってみると一目瞭然であるが、今までプレイしたゲームの中でダントツにリメイクを望んでいた作品がポケットモンスターダイヤモンドパールだった。とはいえ、ゲームとは本来、一度遊んでしまえばそれきりでありリメイクが欲しいなどと考えることもない。しかし、なぜ私がダイヤモンドパールのリメイクを望んだか。それは、リメイクが作られることがおおむね予想できたからだ。ポケットモンスターシリーズは件のダイパリメイク以前に、リメイクと呼べる作品を4作品(Let's Goシリーズを含む)発売している。それらはすべて、初代のポケットモンスター赤・緑から第三世代と呼ばれるポケットモンスタールビー・サファイアまで順を追ってリメイクされたのだ。これでダイヤモンドパールのリメイクがなされなければ、後の新作発表の生放送などでの「ダイパリメイクはよ」コメントでの大荒れは必至である。

また、ポケットモンスターシリーズは元来メインタイトルを携帯機で発売していたのだが、ポケットモンスターソード・シールドより事実上の据え置き機であるNintendo Switchに移行したのも期待を膨らませる大きい要因と言えるだろう。Switchは携帯機として使用することもできるとはいえ、直近の携帯機であるNintendo 3DSとは一線を画す性能であろう。事実、最新作であったソード・シールドでは、今までのメインタイトルとは比較にならない美麗なグラフィックと3Dモデルで、新時代のポケモンを感じさせるビッグタイトルだ。DS時代の名作が、Switchのグラフィックで"美麗に"よみがえる姿を、私含め皆期待していたのだ。

2.焦らされすぎた

前述のとおり、ダイヤモンドパール以前のタイトルはリメイク作品が出ていたのだが、ダイパリメイクの発売は今までのメインタイトル→リメイク発売のスパンが一番長い。その間15年である。15年と言うと、クレヨンしんちゃんが成人し、のび太君は修士課程を終えている程の期間だ。私も、当時は鼻水を垂らしながら攻略本片手にやれストライクがでない(ストライクはダイヤモンド限定出現であり、プレイしていたのはパールだった)だの、やれみたまのとうはなんのためにあるのだ(ともだちがたくさん必要なイベントだった)だのと、振り返れば幸せにゲームを遊ぶ少年だったのだが、今となっては不満のあるゲームを題材にお気持ちをネットに吐露してしまおうとする、ある意味で垢のぬけた大人になってしまった。少なくとも、人格形成の真っただ中にダイヤモンドパールは将来リメイクされるんだ!という期待を胸に刻み、15年間も持ち続けてしまった少年少女の期待は、並のモノではなかったのだ。

 

  • ゲーム面

ここからは、ダイパリメイクの、プレイヤー(あるいは私個人)の期待に応えられなかった点について考えていく。なお、ここで挙げるものは全て製作者がすでに懸念していたであろうものと私自身心得ており、決して考えの至っていない製作者を貶めるようなものではないことに留意されたい。

1.3Dモデルの2頭身キャラクター

発売前から批判のやり玉にあがり、プレイ後にもその違和感をぬぐうことができなかった要素である。今までにも、様々なゲームが視覚的な表現を理由に批判されてきたが、その多くはゲームの内容によってその印象を持ち味へと変化させてきた。私の経験では、ペルソナシリーズやブレイブリーデフォルトシリーズ、ファイナルファンタジーⅦ等がそれに該当する。往々にして、リアル頭身を求めるプレイヤーは決して少なくはない。それを世界観やハードのスペックを背景にデフォルメしても、作品の持つ別のポテンシャルが不満点を味にしてしまう。そして、世のゲーマーたちに、「クラウドはあのダンベルみたいな腕じゃなきゃいけないんだよ!」「P5のリアル頭身はむしろ違和感あるわw」などと言わせてしまうのだ。以上を踏まえると、プレイ後に頭身に違和感が残ってしまった作品は、往々にして内容にも問題があったのではないかと容易に想像ができる。

他に個人的に許せなかった点は、原作では、冒険開始時にリアル頭身の主人公が2頭身に変身する演出が存在するのだが、これは本リメイクでカットされている。この演出があることで、"今表示されているキャラクターは、本編では2頭身で表現されるんですよ"という予告になり、原作では頭身の変化に対する違和感をシームレスに解決していた。とはいえ、本リメイクにこの演出があったからといって、違和感を払拭する決定打になったかといえばそうでもなさそうなので悩ましいものである。

2.変化のないストーリー

第四世代を語る上で欠かせないのは、奥行きのあるストーリーである。宇宙を作ったとされるアルセウスや、時間や空間を操るディアルガ&パルキアの存在は、それまでの作品に登場する伝説のポケモンに対して極めて異質で概念的だ。原作ではアルセウスの出現するイベントは没になった経緯もあり、リメイクで明かされる新事実を期待したプレイヤーも多かったことだろう。しかし、本リメイクにて新たに手の加わった要素は特にない。ゲーム界の通例としては、リマスターと表現される内容である。

 

以上である。ここまで否定的な話題をとりあげたが、とはいえ子供の頃に遊んだダイヤモンドパールがリメイクという形でまた遊ぶことができたことはとても嬉しかったし、周りのドンピシャ世代とリメイクについて話をしたり、通信交換や対戦をするのは当時できなかったことで、新鮮さを感じることができた。この間は、子供の頃の夢だった全国図鑑の完成をリメイクで叶えることができて一人感動したりもした。今月の28日には、ポケモンLegends アルセウスという形でダイヤモンドパールのストーリーを深掘りしてくれるとのことで、楽しみはまだまだこれからなのだという気持ちだ。